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Twilight Angel    5

   

ガブラスは家に戻り、ベッドにごろりと寝転がった。ポケットから、さっき貰った名刺を取り出し、眺めていた。
 
「ドラクロアのシドか・・・」
と、呟く。
 
その名は、帝国に住むものなら知らない者はいないという名前だった。
天才機工士で、帝国の軍事部門の中枢で、武器や飛空艇の開発をしている。
巨大な権力を握っていることは言うまでもない。
ガブラスは名刺から目を離し、曇ったガラス窓から青い空を見上げては、ふうと息を吐いた。
 
ガブラスはランディスという小さな国の平民の家に生まれた。双子の兄とは、互いに将来は軍人になりたいとの夢を持ち、仲良く遊び、学び、身体を鍛え、平凡ではあるが幸せな暮らしをしていた。
しかし、昨年、帝国がランディスに侵攻した。戦争が始まれば、平民でも老いも若きも軍に借り出される。
そうして、父親もその戦争で命を落とした。ガブラスも兄も青年兵として、軍に志願し、最後までランディスのために戦っていた。
だが、兄は敗戦が濃厚になると、突然行方不明になってしまった。真面目な兄のことだから、何か考えがあってのことだと信じたいが、病弱な母親を一人残して、自分も出て行く訳にも行かなかった。
最初から圧倒的な国力の差があったのだ。なすすべも無くランディスは帝国に敗れ、領土となったのだ。
 
その後、母親が帝国出身だったため、やむなく、実家を頼って移住し、世話になっていたのだが、しばらくして、母親も亡くなってしまった。
そのまま実家に居続けるのも心苦しくて、ガブラスは一人で暮らすようになったが、外民でその上領国民という身分では、差別の激しい階層国家のこの帝国では、碌な仕事にありつける訳がなかった。
それでも、少しの時間があれば身体だけは鍛えていたので、モブハントや建築現場でちょっとした力仕事をしては食い繋いでいた。
母国を出て以来連絡も途絶えたままの兄に対しても、どこか信じていたいという気持ちもあったものの、母親を一人で看取ってからは、日々生きていくことがあまりにも大変で、段々と恨みの気持ちも大きくなってきていた。
もう、兄を待っていることより、これからの自分の人生を真剣に考えなくてはならない。
 
この大きな帝国の中で、たった一人で生きていくということを。
 
もちろん、ガブラスはこのまま何もせず帝国民に成り下がり、のうのうと生きていくつもりはなかった。
かと言って、日々食べていくのがやっとのこんなちっぽけな自分が、帝国を滅ぼして、ランディスを復興させるということなど、到底不可能だということも分かっていた。
しかし、どこかで、この巨大な帝国に傷の一つでも付けてやりたいとの思いは消えることはなかった。
ランディスの民の意地を見せ付けてやりたい。
そんな思いを命の奥低に秘かに抱えながら、自分の生きる道を探し、この一年、帝国の最下層の街で生きてきたのだ。
 
そして、今、シドの名刺をもう一度見ながら、もしかしたら、これは自分にとって、大きなチャンスになるのではないかと思えてきた。
巨大な化け物に向って行くのには、まず、その懐の中に入り込むのが第一歩なのだから。
 
外民から新民になるには、軍で功績を上げるか、金で市民権を得るか、二つの方法があった。
しかし、市民権を買える程のお金を稼ぐには、この街でいったい何年働けばいいのか見当もつかない。
でも、上手くいって、シドに気に入ってもらえれば大きなコネになる。
貴族の推薦があれば、軍にだってスムーズに入隊出来るかもしれないし、シドに仕事を紹介してもらえれば、ここの賃金よりも遥かに期待は出来るだろう。
何てったって“上”の街なのだから。
どちらにしても、自分にとっては、大きなプラスになることは間違いない。
“下”の街で働くよりはずっと、ずっと。
 
徐々に“上”に登って行けば良いのだ。
必ず、登りつめてみせる。
そして、身中の虫になって、帝国を内部から、じわりじわりと崩していくのだ。
ガブラスは、ぎゅっと拳を握り締めた。
 
そのためだったら、たとえ、泥水を啜ろうとも、何だってやる。
どんな屈辱でも耐えてみせる。
 
ガブラスの頬に一筋の光が差し込んだ。
それは、まるで自分の進むべく道が開かれたような瞬間だった。
 
「よし、まずはその一歩を、あの人の元から始めてみよう」
 
ガブラスはそう自分に言い聞かせた。
 
翌日、持っている服の中で、一番上等な服を見に着け、ガブラスはドラクロア研究所のシドを訪ねた。
 
 
 

                                                           2008/5/18
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