Twilight Angel 6
アポを取るために電話を入れたら、今日の今日では無理かもしれないと思ったが、運よくミーティング後に少し時間を取ってもらえた。
受付で名乗ると、しばらくして、白衣を着た研究員が迎えに来てくれた。
金属探知機のセンサーゲートを潜らされ、何度もエレベーターを乗り継ぎ、赤い隔壁と青い隔壁を交互に通り研究員の後に付いて歩いて行く。
さすがは、天下のドラクロア研究所だ。セキュリティが厳しく、外部の者が簡単には侵入出来ないシステムになっている。 しばらく迷路のような廊下をぐるぐると進んで、やっとのことで67階のシドの研究室の前まで案内された。
カメラで確認したのだろう。すっとドアが開かれた。
「おぉ、よく来てくれたね、ガブラス君」
「こんにちは」
「ちょっと散らかってるがその辺に適当に腰掛けてくれ」
部屋は足の踏み場もないくらい散らかっていて、本棚に入りきれない沢山の書籍が山積みにされ、周りには、様々な飛空艇の模型が所狭しと並んでいる。
デスクの上にも分厚い書類で溢れている。
「今、ミーティグの報告書を上げてしまうから、少し待っててくれ。喉が渇いているなら、そこの冷蔵庫から何か出して、飲んで構わないから」 「お忙しいところ、突然お邪魔して申し訳ありませんでした」 「何、私が忙しくない時なんてないからね。何時来ても同じだよ。ミーティング中でなくて良かった。 あれは本当に長くて困る」 シドはそう言いながら、パソコンに向って、もの凄い速さで報告書を打ち込んでいる。
ガブラスはソファーに腰掛け、飛空艇の模型を興味深そうに眺めていた。
どれも今まで見たことのない様な斬新なデザインだった。
五分程したら、報告書を書き終えたのかシドが立ち上がり、ソファーの横のテーブルに置いてあったコーヒーメーカーの前に立ち、コーヒーを入れようとした。
ガブラスは、そんなことをさせては申し訳ないというように、慌てて自分も立ち上がり、
「オレがします」と言って、コーヒーサーバーをシドから取り上げた。
「あぁ、すまないね。カップはその下にあるから」
ソファーに座ったシドにコーヒーを出して、ガブラスもシドの向かい側に座った。
「まったく、毎日、会議会議でゆっくり図面を引く暇もありゃしない。
そのくせ、納期はしっかり守れとうるさいからな、たまったもんじゃないよ。 まぁ、私の仕事の話はどうでもいい。折角、ガブラス君が来てくれたのだから、君の話を聞かせてくれ。 君、あの武術はどこで習ったのかね?中々の腕だったが」 相変わらす機関銃の様にしゃべる男だ。 ガブラスは一瞬迷ったものの、これからのことを考えると隠し通せることでもないので、それなら最初から正直に言ってしまった方がよいかもしれないと思った。
確かにこの千載一遇のチャンスは掴みたいが、シドには嘘が通じないような気がしたからだ。
もし、それで、シドとの繋がりが切れてもそれはそれで運が無かっただけのことだと諦めるしかない。
「オレはランディスの出身で、少しの間でしたが、ランディス軍に所属してました。
武術はそこで。でも、戦闘が激しくなってからは、碌な訓練は受けてませんけど」 「そうか、ランディス出身か・・・では、戦後こっちへ家族で移って来たのかね?」
シドは顔色一つ変えずに、質問を続けた。 「兄は行方不明になり、父は戦死しました。母がこちらの出身でしたので、実家を頼って二人で移りましたが、母も去年、病で亡くなり、今は自分一人になっていましました」
「仕事はちゃんとあるのかい?」
「自分一人食べていければいいのですから。
モブハントや建築現場で働けば、何とか食いつないでいくことは出来ます」 「ふむ・・・」
シドは腕を組み、何やら考えているようだ。 この時、シドは、
(よし!決めた!)と心の中で叫んだ。 「私も去年妻を亡くしてね。まぁ、身の回りのことは、使用人達が何でもしてくれるから、困らないのだが。
一番気がかりなのは、三男のことなんだよ。 長男、次男はもう 寄宿舎に入っているから、心配ないのだが、三男はまだ四歳でね。 特に私がここの所長になってからというもの、夜、あの子が寝る前に家に帰ることは至難の業になってしまった。あの子は私を気遣って口には出さないが一人寂しく寝てるのかと思うと・・・」 シドは思い出して切なくなったのか、少し俯き、眼鏡を上にくいっと持ち上げ、ポケットからぐちゃぐちゃのハンカチを取り出して、目に当てた。
「それに、今は丁度いろんなものを吸収する好奇心旺盛な年頃だ。
あの子が、どうして?何故?と疑問に思ったことにすぐに答えてやりたいのだが、残念ながら私にはその時間が取れなくてね」
俯いていたシドは、顔を上げ、真っ直ぐにガブラスを見つめた。
「ガブラス君、ウチの子の家庭教師になってくれないかね?
住み込みでも通いでも君の都合の良い方で構わないから」 「えっ、オレがですか? そんな・・・オレは何も教えられないと思いますけど・・・」 「何、堅く考えることはない。遊び相手くらいの気持ちで十分だから。
少し身体が弱いから、部屋で遊んでばかりで外には出たがらないのだよ。 身体を鍛えてくれればそれでいい。どうかね?ウチの子の友達になってはくれないか?」 突然のシドの申し出にガブラスは驚いた。
信じられない。帝国でも名門中の名門貴族が外民でしかも領国民である人間を我が子の家庭教師になんかするか?普通は有り得ない。おかしいのか?この人は。
家柄に見合った立派な家庭教師をつけることくらい何でもないことだろう。
そっか、待てよ。
きっと誰の手にも負えない程の問題児なんだ。
家庭教師を雇っても三日ともたないとかな・・・
さっき泣いてたのはあれは演技か?
ガブラスは一瞬の間に様々なことを想定してみたがさっぱり分からない。
「何故オレのような者を・・・?」
「それは君が同じ痛みを知っているからだよ。
母を失ったあの寂しさは味わった者にしか理解出来ないだろう? それに、私はあの子をぬるま湯で育ったボンボンにしたくはないんでね。 たとえこんな家に生まれたとしても、ずっと何もかも守られて一生暮らしていける保証はないし。 何があっても、たくましく生きてもらいたいと思っている。 ほら、“上”の人間は何の苦労もしてないからね。君のような人から学ぶべきことはきっと沢山あると思うよ。あの子にとってはね」 「そうですか。あともう一つ、差し支えなければ教えていただきたいのですが、前任者はなぜ・・・?」
「ははは〜ウチの息子が手に負えないヤンチャ坊主だと心配しているのかい?
それはない。少し人見知りはあるけど、素直でとっても良い子だから。 それに、前任者なんていないんだよ。今までは妻がずっと一緒だったからね」 思っていたことを見透かされてしまったようで、ガブラスは恥かしくなった。
しかし、自分にとって、これは大きなチャンスになるかもしれないと思えてきた。
仕事でも紹介してくれたら有難いと思っていたのに、何せ、あの名門ブナンザ家と直に繋がりが持てるのだから。 言葉を返せないでいるガブラスにシドは優しく話かけた。
「何、返事は今すぐでなくてもいい。ゆっくり考えてくれ。 あぁ、そっか、すまなかったね。報酬も提示しなくては考えようもないか」 シドは笑いながら、胸ポケットからメモを取り出し、一枚破ってさらさらと数字を書いて、ガブラスに渡した。
ガブラスは、その数字を見て、また驚いた。
そこには、建築現場で働く一週間分の賃金と同じ位の額が日給として書かれていたのだ。
もう、迷うも何もない高給だ。
しかし、ここで即答するのも何だか恥かしい。
「では少し考えさせていただきます」 と、ガブラスは返事をした。
|
2008/7/3